書を持ったまま町に出よう

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崇福寺と黒田家墓所を見学しました

黒田家の菩提寺崇福寺と黒田家墓地を見学してきました。

 

 

 

崇福寺について

 

地下鉄千代県庁口から徒歩5分くらいです。

崇福寺は仁治元年(1240)、随乗坊湛慧によって大宰府横岳に創建、開堂演法は聖一国師がおこない、開山は文永9年(1272)に大応国師南浦紹明)によります。

筑前国風土記』によると慶長5年(1600)黒田長政筑前入国以降に大徳寺春屋和尚の請により復興計画が始まり、現在地に移転、黒田家の菩提寺となりました。

その後も廃仏毀釈の影響による荒廃や空襲、平成の放火など様々な苦難を乗り越え現在に至ります。

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山門

 

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福岡城の表御門。二層造で本瓦葺の切妻造。

大正7年(1918)陸軍が福岡城を占拠した際に払下げられ第97世玄外和尚が移築。同9年(1920)落成。施主は古賀莊兵衛氏。

かつての福岡城の写真と見比べると、傷みが激しかった扉が主に修繕されているようです。

楼上の木造如意輪観音坐像は旧山門建立時に安置されたそうです。弘法大師の作とも伝わり、平安時代後期~鎌倉時代の作と見られています。台座と安置厨子には天明3年(1783)に仏師・佐田文蔵により本体の修理と台座などの新調がおこなわれたことが記されています。

戦時中は戦火にあうことはなかったが、平成3年の17号、19号台風で多数の瓦が落下。翌年屋根瓦をすべてやりかえるなどの修復工事を行いました。

さらに平成17年には福岡西方沖地震により、梁や柱の一部がずれるなど甚大な被害を受け鉄製の金具などで補強したものの、現在も被害のあとが残っているとのことです。

ちなみに、以前の山門は万治元年(1658)第80世江雲和尚の代、家老小河平右衛門外成が主になり、博多豪商大賀宗伯・大賀宗恩・伊藤小左衛門・渋谷九左衛門らが喜捨して建立。

かつて山門楼上に無準禅師筆「勅賜萬年崇福禅寺」の額を掲げたとのことです。

明治維新後に解体。記録がないため詳細は不明となっております。

 

崇福寺唐門          

 

旧名島城の遺構であるとされ、境内で最も古い建築物。

ただ、桃山時代の作柄そのままではなく、江戸初期に改築されたものと推定されるとのこと。現在は瓦葺ですが、もとは檜皮葺であったのではないかともいわれています。

基本的に戸が開けられることはないそうで、博多どんたくで松囃子を迎え入れる際に開かれます。

 

仏殿兼禅堂

 

ちなみに、毎月4日・14日・24日が仏殿兼禅堂の釋迦三尊像のご開帳の日となっています。

遠目でしか拝見していないのですが、脇侍の文殊菩薩が剣を持った姿で表されており、ちょっと珍しいのではないでしょうか。

 

黒田家墓所の見学について

黒田家墓所は2015年4月25日(土)から、土曜日、日曜日および休日の午前10時から午後4時まで、自由に見学ができるようになりました。(墓所入口は北門なので崇福寺側からは入れません。)

詳細は下記の市のホームページに記載があります。

 

福岡市指定史跡「黒田家墓所」 場所:福岡市博多区千代4-7-79(崇福寺境内隣接)

 

http://www.city.fukuoka.lg.jp/charm/kanbei/event.html#bs

黒田家墓所 

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 崇福寺境内の西北に接して所在する、藤水門で仕切られた一郭が黒田家の墓所となっています。

黒田孝高(如水)や正室の光(照福院)、長政、弟の黒田熊之助をはじめ、4代藩主・綱政、6代藩主・継高、7代藩主・治之、9代藩主・斉隆、10代藩主・斉清、また直方藩主などの墓碑があります。

なお、2代藩主・忠之、3代藩主・光之、8代藩主・治高の墓所東長寺に、また11代藩主・長博以降は東京の青山霊園にあります。

昭和25年に改葬が行われ、墓域は以前の5分の1程に縮小され、如水、長政の墓塔を中心に藩主正室、子女、家臣、直方藩主の二十数基あった墓塔は整備され、新たに黒田家本家分、直方家分家分等の合葬碑を建碑し、現在12基の石塔が並んでいます。

 

黒田官兵衛(如水)の墓石

 

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墓石には戦国末期の外交僧として知られる聖福寺第109世景轍玄蘇(けいてつげんそ)の撰文が刻まれており、官兵衛の波乱に富んだ生涯をうかがうことができます。官兵衛の墓石には長政以降の累代の墓石として使用されている花崗岩とは異なる安山岩(あんざんがん)質凝灰岩を使用しており、墓石前の慶長の年号が刻まれた灯篭も同様の石材を用いています。また、墓石全体が赤みを帯びていますが、これは撰文の文字彫り込み部分に、朱漆の上に金箔を貼った名残ではないかと考えられます。

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  黒田長政の墓石

 

 

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墓所は昭和25年に大規模な改装工事が行われ、この時に墓石は現在の位置に移されていますが、かつては現在より広大な墓所であったことが知られています。なお長政の墓石は改葬の際に新たに造られたもので、墓所南端に当初の笠の部分が残されています。

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 博多塀

 

崇福寺から藤水門への道のわきの塀には瓦が埋め込まれています。

豊臣秀吉は九州平定後に荒廃した博多を復興させるために「太閤町割り」と呼ばれる都市整備を2回に分けて行いました。そのときこういった土塀が造られ、博多塀と呼ばれました。

この塀が当時のものかは不明ですが…。

なお、ほかには櫛田神社聖福寺などで見ることができます。

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境内のおすすめ甘味

 

境内には吾妻屋という饅頭屋さんがあります。

やぶれ饅頭や藤巴紋の紅白の落雁、甘酒、赤飯なども売っていす。

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こしあんで程よい甘さの官兵衛まんじゅう(6個入・800円)を買いました。

藤巴紋の焼き印が押してあります。