書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

住吉神社能楽殿のはなし

 

住吉神社能楽殿は歴史がある能舞台ですが、現在では市内にある大濠公園能楽堂に比べると能の上演はそんなに多くはないですね。

 

【公式】筑前國一之宮 住吉神社 | 能楽殿のご案内

 

境内図

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住吉神社参道を途中で右に曲がります。

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付近の小中学生の相撲大会がこの土俵で行われていたと聞いたことがあるのですが、最近はどうなのでしょう。

 

左手に土俵を見ながらまっすぐ進むと開けた場所にでるので、そうしたらすぐ能楽殿の入口です。

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分かりづらいですが、門に「能楽殿」の額がかかっています。

 

全席桟敷なので、靴を脱いで入ります。 

 

歴史ある建物ですので、空調の効きかたは新しい建物に比べると若干難ありです。

夏は暑く冬は寒く感じることが多いので、衣類による体温調節が必要です。

 

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右手の窓から日光が入ってきます。

自然光が差し込む能舞台も珍しいのではないでしょうか。

 

地謡座の後ろにある貴賓席がかなり目立ちますね。

貴人用の御簾の間というものはもうすこし目立たない印象だったので、ちょっと不思議な気分です。

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平成11年度福岡市指定文化財 住吉能楽殿

 

正面20.830・、側面28.442・、入母屋造、波子鉄板葺、妻入り。北側1間半、南側1間半に桟瓦葺の下屋を付けます。東側の北・南端は切妻造の屋根を付けて、北端は妻入り出入口となります。(外観
 舞台は、正統的な優れた技術によって伝統的な様式を遵守した格式と風格のある造りです。舞台屋根は桧皮葺、橋掛り屋根は柿葺、いずれも軒先のみを見せています。またいずれも天井は化粧屋根裏です。
 能舞台の三辺と橋掛り側面には様式通り白州(玉砂利)を巡らせています。
 見所(見物席)は板床で北側四段、東側三段で高低のある見所としています。天井は格天井。また地謡座の背後に貴賓席に充てたと見られる高欄付き桟敷を設けています。
 舞台背面と側面の鏡板の老松・若竹は帝国美術院展覧会委員を歴任した福岡市生まれの水上泰生(明治10~昭和26年)が画いたものです。
 舞台床下に8個(現存7個)、橋掛り床下に3個の甕がうめられています。
 小屋裏は楽屋部分については和小屋、舞台・橋掛り・見所部分は二重のトラスの洋小屋組、挟み釣り束ボルト締めです。

 

 

 

 

ところで、日本号を黒田家に寄贈した安川敬一郎は住吉神社能楽殿の建設に出資した一人です。

 

大正時代に警固神社能楽堂が老朽化していたため、昭和に入ってから新たに住吉神社境内に能楽堂を建設する計画が興ったそうです。

安川敬一郎・松本健次郎・その他民間の寄付で昭和13年落成し、住吉神社に寄贈され現在に至ります。

なお、安川敬一郎は昭和9年に死去していますので、完成を見ることはありませんでした。

 

安川敬一郎は福岡における能楽普及に尽力した人物です。

自身も宝生流を習っており、また喜多流の梅津只円に鼓は習っていました。(能を志したのはなんと60のころとのことです)

『安川敬一郎日記』でも能を観たという記述をよく見かけます。

  

ちなみに、夢野久作の『梅津只圓翁伝』に、梅津只圓から能の指導を受けた一人として「大野仁平」という名前が挙げられています。

この人物は頭山満から日本号を譲られた大野仁平なのでしょうか。

 

 

 

能の演目だけでなく建物の歴史も楽しむことができて一石二鳥です。

 

 

 

 

 

 

 

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