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書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

太宰府天満宮に黒田如水を訪ねてみました

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毎年多くの受験生の祈りを受け止める太宰府天満宮には黒田如水(官兵衛)が居住していた時期があります。

 

 

黒田如水大宰府について

1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いの功績で筑前52万石に封ぜられた黒田長政は、旧珂郡福崎で築城を開始。黒田氏ゆかりの地・備前福岡岡山県瀬戸内市長船町)にちなんで、新しい城に福岡城、城下町に福岡と名付けたと言われています。

筑前国に入った官兵衛(如水)は、福岡城内の居館が完成するまでの1601(慶長6)年から1608(慶長8)年の間、太宰府天満宮の境内に隠棲しました。

当時、戦火に焼かれて荒廃していた大宰府天満宮はその前に名島城主であった小早川隆景が本殿を再興していました。如水はさらに社領2000石や太鼓橋、石灯籠、太刀、『天神縁起絵巻』などを寄進。(こういった寄進についての書状は一部太宰府天満宮宝物館に現存)

大宰府天平2年山上憶良や太宰少弐、小野老らが太宰帥・大伴旅人邸に集まって梅花の宴を開き酒杯と詩を交わしたという万葉の故事にちなんでか、自らも連歌師天満宮の神官を招いて連歌会を度々開いていた。

太宰府天満宮では如水の保護に感謝し、明治頃まで毎年正月や命日には連歌会を催していたと伝わります。

如水の井戸

 

如水が太宰府で過ごしていた際に茶の湯などに使っていたといわれる井戸。

太宰府天満宮の境内、宝物殿の傍にあります。井戸の裏には黒田家隆盛の礎ともいえる「目薬の木」が植えられているとのこと。

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 如水社

 

井戸の裏手に回ると黒田官兵衛(如水)を祀った社・如水社(山の井社とも)があります。

昭和63年、太宰府天満宮御神忌1085年御縁祭の齋行を記念して、一間社流造、銅板葺屋根の社殿を造営したとのこと。

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黒田家の家紋の藤巴のようです。

 

「福岡」という地名と大宰府

 

冒頭で述べた福岡という地名について、史料上の初見は黒田如水が慶長7(1602)年の正月に親族で集って詠んだ連歌の中の一句です。

『夢想之連歌』の中の句で「松むめや 末ながかれと みどりたつ 山よりつづく さとはふく岡」。

2016年の福岡市博物館での展示です(撮影OKの展示)

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「福岡」の初見史料!~「福岡」の誕生を祝う神のお告げ~ | 大野万太郎の博多時間日記♪

 冒頭の2句(発句・脇句)は官兵衛が夢の中で感得した歌です。「松むめ(梅)や 末ながかれと みどりたつ 山よりつづくさとはふく(福)岡」とあります。松は、博多湾沿岸一帯に広がる松原。

現在はビルに囲まれた福岡城址ですが、当時は城から博多湾が一望できたことでしょう。梅は太宰府天満宮の御神木、飛梅。この連歌会が開かれた慶長7年(1602)正月16日には、官兵衛は太宰府天満宮の境内に庵を営み仮住まいをしていました。築城を開始して半年余りの時期です。 

ちなみに、如水の連歌を探す場合は下記がまとまっていてわかりやすいです。

黒田官兵衛の連歌が載っている資料が見たい。 | レファレンス協同データベース

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