書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

加藤清正と清藤大明神・緋衣大明神のはなし

 

道路からよく見える、赤い鳥居と目立つカラーリングの社殿が目印の熊本城稲荷神社。

熊本城観光の際、駐車場に車を停めたことがある方も多いはず。

 

熊本城稲荷神社の祭神

白髭大明神(生活守護の神)

緋衣大明神(火伏・学業・芸能の神)

玉姫大明神(良縁・縁結びの神)

通力大明神(金運・勝負の神)

辰巳大明神(安産の神)

猿田彦大神(開運・交通安全の神)

子安大明神(子育ての神)

白菊大明神(商売繁昌の神)

貞広大明神(土木・建築の神)

源作大明神(五穀豊穣の神)  他

 

ここにお祀りされている緋衣大明神は加藤清正と縁が深い2匹の霊狐のうちの1匹であると伝わっています。

その伝説についてと実際訪れた場所のまとめです。 

 

 稲荷伝説概要

この2匹の霊狐は兄弟(ゑと)大明神といい、もとは大阪石山城に住んでいたが、織田信長による石山合戦の影響で住処を失ってしまった。各地を流浪していると長浜で偶然加藤清正を見かけ、きっと名君になるだろうと見込んで陰ながら守護するようになり、清正の肥後入国とともに熊本へと移ってきた。

熊本での新しい住処は石山城の城壁と似ていた祇園山(現在の花岡山)の八枚岩と定めたとのこと。

 熊本城の工事に際し、祇園山の岩も切り出されたが、八枚岩では白狐が妨げて採掘ができなかった。自ら陣頭指揮をとっていた清正がたまたま八枚岩で休息をとると、夢の中で八幡神が現れ「この岩の下には白狐がいる。その白狐に石を貰いなさい」と告げた。清正が岩の下へ行き「なぜ自分たち築城の邪魔をするのか、石材の採掘の妨げはやめよ」と言ったところ、白狐が姿を現し「自分は長浜から君の御供し陰ながら守護してきた兄弟大明神です。この石材は築城には不適切なので採らないほうがよいでしょう」と告げた。清正は大変喜んで、兄は祇園山にて肥後国の繁栄を守り、弟は茶臼山に移って城を守護するようにと言い、兄を清藤大明神、弟を緋衣大明神と名づけた。

 兄の清藤大明神は誓いの歌を詠み

 誓ひ置く皆もあまねく賢こしと、後の世迄も人のとうとび

清正は返歌にこう詠んだ。

 来て見れば岩戸の奥の神がたり、すえたのもしき誓ひなり鳬

以後、緋衣大明神は清正の共をして熊本城を守り、朝鮮出兵の際にも随行したといわれる。

また、加藤家から細川家に藩主が替わったとき、細川氏の入国に小倉から三吉大明神が随従していた。しかし熊本城稲荷神社の白髭大明神が「自分が先に清正から預かってこの地に棲んでいる。みだりに他より入ることは許さない」と拒んだため場内に入ることがはできず、高橋の城山に稲荷神社が勧請された。

 

参考:竹下真美(1923)『熊本城霊狐物語』尚文社

19cm、42pという小さな冊子で、熊本の人々に取材をして狐に関する伝説を集めたもの。この稲荷伝説に関して文章化された書籍がないのか、下記サイトで熊本城稲荷神社宮司・本田光曠氏もこの本をあげています。

熊本城稲荷神社の由来とご利益 ふるさと寺子屋 お役立ち便利帳 熊本県観光サイト なごみ紀行 くまもと

 熊本城内でたびたび霊狐が目撃され、奇瑞があったとのこと。当時信仰されていたことが良く分かります。

 

清藤大明神について

 

現在、花岡山頂上には加藤清正が石材を採掘したときに休息したとされる腰掛石などが残っている。

山頂付近には清藤稲荷大明神を祀っている社がある。

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ここからすこし下ったところには大きな赤い鳥居(戸坂稲荷大鳥居)があり、その付近が八枚岩であるとのこと。

ちなみに、谷尾崎地区から花岡山を見るとこの戸坂稲荷大鳥居が見えるそうです。

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大鳥居のそばに奥の院の案内看板が出ていたので、したがって階段を下りてみることに。

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岩の階段とアスファルトの階段を下ると、お社がありました。

 

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岩肌にそのまま設置しているようで、奥には岩盤が見えます。

地震の影響なのか一部倒れているものもありましたが、部外者が触ってもいいのか分からず…。手を合わせるだけにとどめました。

その社の先には赤い鳥居が見えます。

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この社が奥の院かと思ったのですが違うのでしょうか。

この先はあまり道も舗装されていないようで、また草が生い茂っており足元が良く見えないこと、柵等もなく滑落の危険があることと、八代で大雨警報がでていたことを考慮し、先に進むのはやめました。

花岡山には西からの登り口もあるとのことですので、おそらくここにそちらの道がつながると思うのですが、どうなのでしょう。

 

緋衣大明神について

 

熊本城稲荷神境内で正面の階段を上り、左手の階段を上ったところでお祀りされています。

 

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緋衣大明神の名前の由来は熊本城の火災を防いだめとも伝わっています。

緋衣大明神は西南戦争の数年前に、一の天守閣から宇土櫓の下に棲みかを変えたと言われていますが、明治10年の西南戦争で城内に火災が起こり東風のため宇土櫓に延焼しようとしたところ、霊狐が櫓の屋上に登り火炎を防いだとの伝説があります。

そして、そのため胸部の白い毛が焼けて赤色になり、そこから緋衣大明神という呼称になったとのことです。

先述した『熊本城霊狐物語』には威風堂々とした白狐が眷属を引き連れ一の天守閣から宇土櫓へ向かうのを見たとい証言が記載されており、その加護で西南戦争でも宇土櫓は無事だったに違いないと思われたようです。

大正6年にも火災が起こったがその際にも霊狐の加護によって大事には至らなかったとされます。

 

 

 

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