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書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

熊本の歴史を見守ってきた花岡山を散策してみました

加藤清正 熊本県

花岡山はJR熊本駅の北側にある標高133mの山で、熊本市で一番夜景がきれいと言われています。

様々な時代の痕跡が残るこの山を散策してみました。

 

  

アクセス

熊本駅西口から出ると山頂の白い仏舎利塔が見えるので、それを目印に歩いていきました。

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山頂にあった地図です。

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阿蘇殿松跡

六合目近くの鳥居が目印です。鳥居の後ろにある段を下りて奥まで向かうと碑があります。

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文禄元(1592)年の島津家家臣・梅北国兼による梅北一揆において、阿蘇氏22代当主阿蘇惟光は相良家家臣・深水宗甫の讒言により豊臣秀吉から自刃を命じられ、文禄元年8月18日この地でで自刃したとも斬首されたとも言われます。

 のちにその死を悼んだ人々により松が植えられたそうですが、松は残っておらず碑が歴史を伝えるのみです。

なお、後に惟光の弟の惟善が加藤清正に召し出され大宮司職に復帰しています。

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花岡山招魂社

 

阿蘇殿松跡そばの鳥居に向かい合っています。

明治2(1869)年、熊本藩主細川韶邦と細川護久明治維新に殉じた藩士150柱を祀るために建立。昭和32年に遷座して現在の熊本県護国神社となり、ここは飛地境内「花岡山招魂社」ということです。

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加賀山隼人正息女墓(キリシタン殉教の碑)

 

1636(寛永13)年、禅定院にて小笠原玄也と妻みやと子どもたち、奉公人の15人が殉教しました。

その加賀山みや(マリア)の墓が現在の官軍墓地付近より発見され、その横に一家の名が刻まれた碑が立てられました。(写真は碑のほうです)

小笠原玄也の父はガラシャ介錯をして切腹した細川家の家老・小笠原少斎です。

玄也の妻は加賀山マリアの父は1619年に細川忠興のもと斬首されて小倉で殉教した加賀山隼人。

なお、一家の遺した文章は信仰の覚悟がはっきりと述べられているものです。

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薩軍砲座の跡 

西南戦争において薩軍は熊本城から直線距離2キロメートルのこの場所に大砲を運んで城をめがけて砲撃しました。しかし大砲は城内には届かなかったようで、途中の段山や新町に落ちたといわれています。

草が多く見通せないのですが、位置関係を見るとこの奥に官軍墓地が位置しているようです。

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官軍墓地

 

神風連の乱で倒れた官軍兵百十三人が眠っています。

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仏舎利塔

 

花岡山の山頂にはインドのネール元首相から寄贈された白い仏舎利塔があります。

第2次世界大戦の戦没者5万柱の戒名を記した石碑が納められています。

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熊本バンド 奉教之碑

 

仏舎利塔がある広場より一段高く積んである石垣の上、「フィリピン戦没者慰霊碑」を過ぎた場所なのでちょっと分かりにくいです。

横浜バンド、札幌バンドと並ぶ日本プロテスタント3源流の一つ、熊本バンドゆかりの場所です。昭和40年に記念碑がたてられました。手前のスペースは礼拝の場として現在も使用されるとのこと。

1876年(明治9年)1月30日(29日ともされる)、熊本洋学校の生徒三十五人の有志がこの場所で集会を開催し、賛美と祈りを捧げた後に「奉教趣意書」(碑の背面に全文が記載)に署名しました。洋学校閉鎖後、彼らの多くは同志社英学校へ転校することになります。

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清正の腰掛石

 

加藤清正はこの花岡山(当時は祇園山)から熊本城の石垣に用いる岩を採掘したと伝えられています。

清正は休憩のときにこの石に腰掛けると定めていたとのこと。

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清正の兜岩

 

採掘作業では加藤清正は甲冑を身につけていたといわれており、休憩の際に兜をかけたとされる岩です。

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鐘掛松跡

 

山頂からすこし下った車道沿いにあります。

作業の合図を出した鐘をかけたとされる松があった場所です。

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八枚岩

 

鐘掛松跡のある車道を右に進んでいくとあります。

崖下に八枚の平たい巨岩が重なるように突き出しているため八枚岩と呼ばれているそうです。

ここの稲荷明神と加藤清正とのお話はとても興味深かったので別記事でまとめています。

wimwim8282.hatenablog.com

 

 今回見たのは以上です。

 

まとめ

熊本駅から地図だけを見て徒歩で行くと、住宅街を抜けた後は角度が急な階段、そしてラブホ街と廃墟、背の高い草が生い茂る道というコンボをくらいます。帰り道は違う道にしたのですが、今度は墓地の中を突っ切る形になりました。

女性一人で歩いていてもし不幸な事件に巻き込まれても「事故責任」と言われてしまいそうな雰囲気…暗くなってからの散策はおすすめしません。

すべてのスポットを回るためには道を戻る必要もありますが、大きな車道を歩くのがいいと思います。(ただし「落石注意」の看板あり…)