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書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

小鍛冶謡蹟めぐり② 粟田神社・鍛冶神社

三条宗近 京都府 刀剣 寺社 祇園祭 小鍛冶 能楽 謡蹟めぐり 稲荷

 能「小鍛冶」の謡蹟めぐりで粟田神社と鍛冶神社にお参りしてきました。  

 

 

北向稲荷神社

ここの御祭神の一柱・雪丸稲荷が三条宗近の相槌を打ち、その刀が小狐丸であるとも言われています。

御祭神は雪丸稲荷ほか三座。御創建年代は不詳。江戸時代の絵図には稲荷社が描かれており、古くから粟田神社境内に鎮座していたと考えられるとのこと。

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神社案内 | 粟田神社

御祭神は雪丸稲荷他三座で、雪丸稲荷は三条小鍛冶宗近(平安末期の名刀匠)が一条院の勅命により剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんと云われています。宗近は御百稲荷(現在は都ホテル内にあり、昔はここを稲荷山といった)に詣でて祈り、その稲荷の神霊に相槌を打って頂いて剣を打ち上げたそうです。

御百稲荷と雪丸稲荷の関係が気になるところです。御百稲荷は後でお参りします。 

 

また、神社の向きについては多くの言説がありますが、北向の神社は珍しいと言われています(それなりの数はあると思いますが)。

ちなみに粟田神社の参道入り口から道を挟んで向かいに相槌稲荷神社があるのですが、そちらは特に「南向」とはつかないようですね。

 

鍛冶神社

 

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参道横の駐車場の中にあります。

祭神は三条小鍛冶宗近・粟田口藤四郎吉光・天目一筒神。

明治天皇御製「真心をこめて錬ひしたちこそは乱れぬくにのまもりなりけれ」

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粟田神社について

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粟田神社の石段下の道は旧東海道東山道。この辺りは京の七口(京都の七つの出入口)の一つである粟田口と呼ばれる地域です。

参道の階段はちょっと長め、途中に神馬の像があります。

旧社名は感神院新宮、粟田天王宮、明治になり粟田神社と改称され現在に至ります。

粟田神社神幸祭で巡行する剣鉾は祇園祭の山鉾の原形といわれています。また、室町時代には祇園会が行われない際は粟田祭をもって御霊会としたと伝えられます。

もちろん創立にも感神院祇園社(八坂神社)が関わっています。

一説には貞観18(876)年に感神院祇園社(現在の八坂神社)で祈願を行った出羽守藤原興世が神夢を見、その奏上によって清和天皇の勅許を得てこの場所に祀ったのが始まりと言われています。 

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神楽殿能舞台

鏡板は神坂雪佳の手によるもの。

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出世恵美須神社

牛若丸が奥州下向に際して源家再興の祈願をした恵美須神。

創建年代は不明ですが、もとは三条蹴上の夷谷に祀られていたものの、蹴上で山崩れがあったため夷町金蔵寺に祀られることになり、明治に入って粟田神社摂社として遷ったとのこと。 

 

境内図

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