読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

行橋市で「後藤又兵衛の出奔と細川忠興」を見て又兵衛めぐりをしてみました

 

大河ドラマ真田丸」にも登場予定の後藤又兵衛基次ですが、黒田家出奔後に福岡県行橋市に滞在していた期間があります。 

行橋市歴史資料館で開催中の「後藤又兵衛の出奔と細川忠興」展を見てきました。

事前申し込み要の無料ツアーに参加したのですが、詳細な資料をいただきしかもミニバスでの移動で大変充実した内容でした!

参加人数が増えてしまうとスタッフの方の手が行き届かないため大々的に広報はしていないそうです。次回の12月は大河で又兵衛盛り上がってる頃だとおもうんだけど大丈夫なのかな…。

 

 

 守田蓑洲旧居

守田方は「もりたさしゅう」。守田家第27 代で江戸時代末期に文久新地干拓事業に尽力し、平島手永大庄屋、そして明治時代には福岡県議会議員など要職についた人物です。

守田家は、守護大名大内氏の重臣杉氏の家臣でしたが、江戸時代の初め、今井の地から沓尾へと移り居を構え、代々庄屋や大庄屋を務めた家。

守田家に伝わる『守田家系』の中には西福寺に後藤又兵衛が滞在していたことや出発に際して守田家18代の義房に大身槍と娘・久子を預けたことが記されています。(のちに久子は19 代守田房吉の妻となります。)

f:id:wimwim8282:20160918000638j:plain

f:id:wimwim8282:20160918000605j:plain

 現在も又兵衛所持と伝えられる無銘の槍は伝わっています。

槍の穂先の長さ一尺五寸四分、赤漆を塗った稲妻形の樋をもつ平三角の無銘の大身槍。厚みはあまり無さそう。実戦で用いられたものではなく嫁入り用の物ではないかとのこと。鑑定の結果、美濃国兼常の作といわれています。

f:id:wimwim8282:20160919132234j:plain

 

沓尾石切丁場

守田蓑洲旧居の後ろの山です。

元和6(1620)年の大阪城普請で細川忠興はここから巨石を運んでいます。花崗岩だそうです。

 

香圓寺 

f:id:wimwim8282:20160918001948j:plain

又兵衛が娘の久子を守田家に託して出立したのち、久子は19 代守田房吉の妻となりました。

房吉は仏門に入り守田香圓と名乗りました。沓尾の香圓寺はこれに由来すると伝えられ、久子と香圓夫妻の墓があります。

f:id:wimwim8282:20160919120940p:plain

 f:id:wimwim8282:20160919121047j:plain

 

 

境内には大勢の死者がでた享保の飢饉の供養塔もありました。

f:id:wimwim8282:20160918001853j:plain

 

守田蓑洲旧居、沓尾石切丁場、香圓寺のある沓尾のあたりは港として栄えていたとのこと。

守田蓑洲旧居には複数の井戸が残っているのですが、英彦山のほうから水源がつながっていて海の近くなのに真水が飲めるそうです。

f:id:wimwim8282:20160918000423j:plain

 

西福寺

西福寺は『今井津昔語』では細川忠興の御茶屋であると記されています。

f:id:wimwim8282:20160918001826j:plain

『西福寺縁起』には「慶長年間後藤又兵衛基次来寺、暫く潜滞す、当時より大阪城入城のため出帆の時、大石より船に乗り移る。その大石現存す又潜滞中、基次の用いし膳は什宝」 とあります。

門前にあった又兵衛ゆかりの大石の上には昭和61年に建てられた後藤又兵衛基次霊塔があります。

f:id:wimwim8282:20160918001800j:plain

また、潜滞中に基次が使用したとされる御膳は寺宝として現在残されており、「後藤又兵衛の出奔と細川忠興」でも展示されています。

四隅を切った膳で内面を赤、外面を黒漆で塗った蝶足膳で、膳を入れる木箱の表には「後藤基次遺物 塗膳壱前 無漏山什器」、その裏には「時 慶応三戴 丁卯仲冬 再製函」と墨で書かれています。 

f:id:wimwim8282:20160919132159j:plain

浄喜寺 

このあたりの地名が守田と呼ばれており、前述の守田家はもとはこの付近に住んでいて苗字を「守田」にしたとのこと。

明応4年(1495)、村上良成が本願寺蓮如上人の直弟子となり開山。(村上水軍の流れをくむ?村上天皇の第六皇子昌平親王の孫?) 

f:id:wimwim8282:20160918004745j:plain

 

細川忠興からの信頼が厚かった第三世村上良慶。「後藤又兵衛の出奔と細川忠興」で肖像画が展示されています。

石山合戦などで武勇が語り継がれた人物で、教如上人を守ったことで佩刀であった三条宗近の名刀を賜ったといわれています。

肖像画に描かれている太刀でしょうか?

f:id:wimwim8282:20160919132307j:plain

 

この塀瓦に用いられている家紋は小倉藩主となる小笠原氏のもの。婚姻関係もあったほどの関係で、寄進もされていたとのこと。

f:id:wimwim8282:20160918004714j:plain

 

 境内には旧霊仙寺(現・英彦山神宮)の大講堂にあったとされる「梵鐘」(県の重要文化財)があります。

これは豊前今居金屋で鋳造されたもので、銘文によると作者は今居(現在の今井)の鋳物氏大工左衛門尉藤原安氏であり、「作料助成」とあることから梵鐘の製作費用は安氏が英彦山に寄進したものと推測されます。

f:id:wimwim8282:20160918004641j:plain

 

村上水軍井戸

f:id:wimwim8282:20160919134442j:plain

又兵衛に関して、細川氏の家史である『綿考輯録』に「忠興君を頼奉り小倉より上方江罷越候、忠興君御懇にて村上八郎左衛門を大坂迄御添被遣候」と記されています。

この村上八郎左衛門と言う人物は村上水軍の流れをくむ人物だそうです。

 

 

行橋市歴史資料館「後藤又兵衛の出奔と細川忠興

 

f:id:wimwim8282:20160919115350j:plain

展示スペース自体は決して広いわけではないのですが、行橋の貴重な資料と詳細な解説が大変見ごたえがありました。

個人的には周辺の地理に疎いため解説に大きな地図があったのが非常にありがたかったです。

細川忠興のローマ字印が使われた書状もあります。

入場無料、写真撮影OKという大判振る舞いです。平成28年6月17日(金)~12月18日(日)。