書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

宝刀蛍丸伝説の地をめぐってみました(宮崎編)

宮崎県には阿蘇家の蛍丸とは別と思われる「蛍丸」という刀についての伝説が残っています。

 

 

宮崎の蛍丸伝説

 

天正19年(1591)高千穂を治めていた三田井氏が攻撃を受け、落城したときの話です。

五ヶ瀬の内の口の甲斐繁左衛門という人物の家に一人の武士がたどり着き「助けてほしい」と頼みました。屋根裏にある桶のなかに匿い、やって来た追手には嘘を教えました。武士は再び追っ手を避け逃げましたが、隠れていたところ腰に差していた「蛍丸」という刀が光り出したため見つかってしまい、殺されてしまいました。

 

内の口の民家

 

逃げて来た武士をかくまった桶と屋根裏にのぼる際に使用した梯子があります。

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恵良八幡神社

 

追っ手に見つかり殺されてしまった武士を祀っています。

境内にいくつか解説が説明がありました

天正十九年(一五九一)九月二十七日延岡城高橋元種は高千穂領主三田井越前守親武の居城向山仲山城と三田井花見城大野原亀山城の三城を同時に急襲して是を攻め落し親武の首をあげた

三田井城を守っていた親武の重臣は落城後敵の包囲陣を突破して三ヶ所村まで遁れたものの敵の追撃が厳しく二十八日は内の口に隠われ(かくまわれ)二十九日漸くこの恵良に逃げて来たが帯刀の蛍丸という名刀が暗いところでも光って発見され此処で割腹して果てたという

この村の人達はその死を憐み懇ろに葬って年々その冥福を祈ってきた。その後故人も村人の功徳に感じたものか何時のころからかその霊が村の誰かに乗り移り色々な奇跡を見る様になった。村人はその霊験に驚き改めてその墓所に社を建立して恵良八幡と称して崇めるようになったと伝わって居る。

平成三年九月

  高千穂史談会長 西川功

 

恵良八幡の由緒は右の通り(注:おそらく前述の文章)でありますが幾星霜を経て社殿の老朽化が著しくなったので祭祀四百年祭を記念して社殿の改築を行う事に致しました。併し乍ら僅かな氏子だけでは容易ならぬ大事業でありますので篤信の方は元より広く善意の有志の方々の功徳を仰ぐ事にした次第でございます。

何卒応分のご支援を賜りますようお願いする次第でございます。

尚八幡様のお取次ぎとして奈良津の川口家からのサマエのち明治時代から長原の迫サマエさん現在は尾原の篠村ツイさんが奉仕されて多くの方々を救済されて居ることは御承知の通りでございます    合掌

平成三年十月吉日

  恵良八幡宮改築協賛会長 甲斐栄

  同社 総代代表篠村留市

 

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高千穂峡

 

高千穂峡にはここまで落ち延びてきた三田井家の家臣らが槍を使って川を飛び越えようとし、槍の柄を手前の岸について飛んだ者だけが渡ることができ、向こう岸についた者は転落したことから、この名がついたと伝えられています。

蛍丸と同じく、戦闘以外の場面で武器が人の生死を分けるおはなしです。