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書を持ったまま町に出よう

引きこもりぎみ方向音痴なアラサーOLが旅行したりする。歴史/美術/古典芸能すき。博物館・美術館/史跡巡り/謡蹟探訪メイン。

宝刀蛍丸伝説の地をめぐってみました(熊本編)

 

2016/9/10~11、ECO九州ツーリスト様の「蛍丸巡りツアー」に参加しました。

阿蘇家とその宝刀・蛍丸について。

 

 

阿蘇神社

 阿蘇山の北麓に鎮座する阿蘇神社。

地震による倒壊で一部入れない箇所もありますが参拝は可能、門前町のお店も営業しています。参拝の方が大勢いらっしゃいました。

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阿蘇家のお宅は現在も阿蘇神社のそばにあるそうです。

蛍丸は阿蘇神社に奉納されていた時期はなく、阿蘇家の宝としての扱いであったとのこと。

宝刀蛍丸の写真も阿蘇家を訪れた学生が資料写真として撮影したものの一枚だそうです。

 

入佐恵良城址

阿蘇氏第10代当主阿蘇惟澄は建武3(1336)年の多々良浜で奮戦したものの、太刀は刃こぼれを生じてしまいました。するとその夜の夢の中で、たくさんの蛍が飛来し太刀の上に集まると消えてしまいました。太刀を調べたところ、欠けていた刃が元通りになっていたためその太刀は「蛍丸」と名付けられました。

阿蘇惟澄は拠点を構えていたこの場所で蛍の夢を見たといわれています。

火山灰地質の阿蘇から、農耕に適したこの山都のほうへ徐々に開拓の手を広げていたとのこと。

傍目にはこんもりした丘のようにしか見えません。近々石碑が作られるそうです。

城があった痕跡としては堀切のようなものがわずかに残っているそうです。また、城があったことから恵良観音という観音像が祀られています。

周囲は畑なので野生動物除けに電気柵が張り巡らされています。

ちなみに蛍の名所だそうですよ。

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通潤酒造

日本酒「蛍丸」を造っている通潤酒造さん。

「蛍丸」の幟がたっています。

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最近はイベントにも精力的に参加されており、ブースはいつも大人気ですよね。

販売コーナーはこんなことに。

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土地が日本酒つくりに適した気候で、お米と水も地元のものを使用しているそう。

240年の歴史を持ち、備前屋という屋号であったころは、西南戦争田原坂の戦いで敗北した西郷隆盛が宿泊して軍議を開いたこともあります。

壁に山頭火の絵があって驚きました。

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9月下旬から地震で被害を受けた蔵の解体修理が始まるとのことです。

 

 通潤橋道の駅

通潤橋道の駅で開催中の「中世阿蘇宮司家と宝刀蛍丸企画展」

道の駅のお客さんが大入りなのか、去年より若干スペースが縮小されていました。そして音声ガイドはオーディオで聞く形式に変化。

 

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迫力ある放水で有名な通潤橋ですが、現在は放水されていません。

ブルーシートがかかっていたのでもしかして地震で壊れた個所があるのかと心配したのですが、山都町の観光サイトに説明が載っていました。

 山都町観光協会 [山都町観光協会]

4月16日に行いました目視による現地確認の結果、通潤橋本体を構成する石材の滑落および欠損は認められていません。外観は健在であり、建設当時の構築技術の高さを証明するものです。一方で、今回の地震により、農業用水を送水する石管の接合部より漏水が確認されており、詳細な状況の把握には専門的な調査が必要となります。また、雨水の浸透を最低限に留めるためにブルーシートを橋上に被せ、併せて安全上の観点から橋上および周辺区域の通行止めを行っておりますので、皆様のご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

 江戸時代の嘉永7年(1854年)に架けられた橋がほとんど大きな損壊もないなんてすごいですね。

 

八朔祭り

毎年9月第一土曜・日曜に開催される八朔祭りが台風12号の影響で一部延期になっていたとのことで、ちょうど花火を見ることができました。

たくさんの方が見に来ていました。

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 山都町目丸

 

天正13(1585)年、島津家に攻められた幼い阿蘇氏22代当主惟光とその弟・惟善兄弟が身を寄せた土地です。

身を隠した岩穴も伝わっています。写真に写っている杉の木の下のほうだとか。

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のち阿蘇惟光は、文禄元(1593)年の梅北一揆に関わっていたと讒言され、秀吉の命によって花岡山にて斬首されます。享年は12歳でした。

先日花岡山で斬首された場所を見てきたので、なんとも切ない気持ちです。

熊本の歴史を見守ってきた花岡山を散策してみました - 書を持ったまま町に出よう

 

潜伏先にこの地が選ばれたのは阿蘇惟豊(惟光・惟善の父)の正室の侍女であった小宰相の局がこの目丸の出身であったことが縁だと言われています。小宰相の局の生誕地であることを記した

小宰相の局は九州征伐を終え帰路についた豊臣秀吉を小倉まで追いかけ、阿蘇家の再興を嘆願した人物で、その結果阿蘇家は所領300町歩を安堵されたとのこと。

 

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 早楠神社

 阿蘇惟澄の長男・阿蘇氏11代当主阿蘇惟村を祀っている、通称「オタッチョさん」。

「オタッチョ」とは「御舘中」や「御塔中」が訛ったものといわれます。

神殿したに室町中期の宝篋印塔があるという珍しい形式です。

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ここには一時期蛍丸が納められたと伝わります。

惟澄から家督を譲られたのは長男・惟村ですが蛍丸は次男・惟武に譲られました。

惟武は蜷打の戦いで戦死、家臣らの手によって首と蛍丸は持ち帰られ、蛍丸は早楠神社に納めれらたとのこと。

 

手入れが非常に行き届いており、いまでも大切に管理されていることが伝わってくる神社でした。

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